昨日、久しぶりに自分のスペイン語を真っ向から否定される出来事がありました。
ある書類を提出したとき、その人は紙を指差して一言、「Español muy malo」。それだけ。
Autocorrectを使えばいいのに、とも言っていたようでしたが、あまりちゃんとは聞き取れませんでした。
というより、その言い方のショックのほうが先に立って、頭が真っ白になったというのが正直なところです。
たしかに完璧なスペイン語だったとは思いません。
でも、それを「muy malo」の一言で切り捨てられるのは、とても悔しいし、腹が立ちました。
そもそも、その書類は私が記入したものではなく、たまたま私が渡したから私が書いたと思い込んで、私に言われたように思えてなりません。言い訳がましいですが、もしメキシコ人が同じように渡していたら、何も言われなかったのではとすら感じてしまいます。
こういう言葉をかけられたのは、今回が初めてではありません
会社に入って1年目のころ、飲み会の場でわざわざ「あなたが今この仕事に就けてるのは、外国人だからだよ」と説教のように言われたことがありました。
また別の機会にメキシコ人2人と私の3人で話していたとき、彼らの質問にうまく答えられずにいたら、「何言ってるかわかんないんだよ〜」と2人で笑われたことも。あの一言だけは、むしろ聞き取れなければよかったのにと思ったほどです。そういう経験を糧にしてなにくそって思える気力があればよかったのですが、ただただしょんぼりしてしまいました。情けない。
ラベルで見られている感覚
彼らからすれば、「スペイン語も完璧じゃないくせに、日本人というだけで良い給料をもらっている」と見えていたのかもしれません。
通訳にしても、私はプロではなく、業務上必要だから対応しているだけ。
でも、そうした背景や努力はおそらく見えていません。
「外国人」「日本人」といったラベルだけで判断されているような感覚があります。
ただ、他の日本人社員に対してそういう態度を取っている様子は見たことがないので、単に私自身の能力を見て判断されていたのだろうとも思います。
言い返したい気持ちはありましたが、周囲にも多くの人がいたし、感情的になっても意味がないと思って、今回は心の中でやり過ごすことにしました。
本音を言わないメキシコ人?
メキシコ人は、嫌なことがあってもあまりはっきりとは言わない印象があります。
それが日本人に対してなのか、メキシコ人同士でも同じなのかは分かりませんが、普段から何かしら思っていても、それを口に出さないだけなのかもしれません。
たとえば、日本人が日系とはいえメキシコの会社で働き「同胞だから」という理由で比較的良い待遇を受けているという構図。
私は決して高給ではないのですが、全体の中では真ん中より上だと思います。
通訳や翻訳、駐在員の対応など、目に見えにくい業務に対して「能力が自分より低いのに…」「いつも仕事っていう仕事してないじゃん」と思われていたのかもしれません。
悔しさをバネに変えたい
同じようにスペイン語を話す友達も、以前似たようなことを言われたそうです。「とにかく悔しかった」と話していた彼女は、今では専門性を持つバイリンガルとして活躍しています。
そんな姿を見ると、私もこの経験を無駄にせず、糧にしていかなければという気持ちになります。
日本にいろいろなタイプの人がいるように ここメキシコでもいろいろな人がいて、特にお説教が好きな人とか、自分の知識を披露したがる人とか、学歴が自慢な人とか、、、こういった人には要注意です。スルーするに限ります。
おわりに。
今、海外で働こうとしている人や、外国語に挑戦している人に伝えたいのは、
誰に何を言われようと、自分の努力は確実に積み重なっている。そのことを忘れないでいてほしいです。
少なくとも私は、昨日言われた「Español muy malo」には、自分のすべてを否定されるほどの意味はないと思っていますし、これからも学び続けます。
この記事が、1%でも誰かの「うまくいかない日」の支えになればうれしいです。
コメント