笑顔の裏にある“無邪気な差別”|メキシコでアジア人として傷ついた瞬間と向き合い方
メキシコは基本的にフレンドリーな国。でも、そんな明るい雰囲気の中でも「悪気なくされた差別的行動」に傷ついたことがあります。
今回は、私が実際に体験した“無邪気な差別”と、それにどう向き合ったかを正直に綴ります。
「ねえ、日本人っぽい?」と釣り目ポーズ
メキシコ人の同僚2人から、堂々と目を吊り上げるポーズをされたことがあります。笑いながら「これって日本人みたい?」と。
笑って受け流すしかありませんでしたが、内心ではとても戸惑い、無力感を覚えました。
なぜこうなるのか?
彼らにとっては“冗談”や“モノマネ”感覚。でも、それが差別であると認識していない=「無知」によるものが多いと感じました。
抗議したくてもできない現実
「その場で抗議しよう」とよく言われますが、現実は難しいです。スペイン語の語彙力や関係性、職場の立場などを考えると、簡単には言えません。
例文(やんわり伝える表現)
- “Perdón, pero ese gesto me hace sentir incómoda.”(すみませんが、そのジェスチャーは少し不快です)
- “Quizá no lo hiciste con mala intención, pero para mí es ofensivo.”(悪気がないのは分かるけど、私には失礼に感じます)
「知らなかっただけ」で済ませていい?
中東系の同僚に対しても、軽い偏見まじりの冗談を言っていたメキシコ人もいました。人種や文化に関する教育が行き届いていない部分もあります。
ただ、知識がない=差別ではないとは限らない。「受け取る側がどう感じたか」が本質です。
説明しても伝わらない壁
スペイン語の先生に体験を話したとき、「気にしないで。冗談よ」と言われました。ですが、自分の感情が置き去りにされたような気がしました。
そのとき感じたこと
「どうせ伝わらない」「冗談と済ませられてしまう」――そんなあきらめが心に残りました。
それでも前を向くために
この記事の目的は、怒りをぶつけることではなく、同じように感じている人が「自分だけじゃない」と知ってもらうことです。
必要があれば距離を取り、信頼できる人にだけ正直に話す。そういう小さな選択が、海外生活で自分を守る力になると思います。
まとめ|伝える言葉を、少しずつ持てるように
「なかったこと」にしないために、この記事を書きました。
笑顔の裏に隠れた“無邪気な差別”に、モヤモヤしている人がいたら、ぜひこう思ってください。
「あなたの感じた違和感は、本当にあったものです」
スペイン語が話せなくても、完璧に説明できなくても、その感情は正当です。
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