“研修”のつもりが“邪魔者”に?メキシコ人社員と日本人のすれ違い

メキシコ生活

これはただの“体験”?それとも試験的異動? メキシコ人社員の戸惑いと日本式のギャップ

【はじめに】

先日、ある社内ミーティングに同席しました。
テーマは「部門間の相互研修」──。
聞こえは悪くありませんが、結果的に「適性があればそのまま異動」という“試験的な異動”として発表され、現場では大きな混乱が起きました。

今回の会議は、メキシコ人社員、日本人駐在上司、人事(RH)など、複数の関係者を交えて行われました。
私は通訳としてその場に立ち会いましたが、この一件は「日本式の当たり前」と「メキシコ式の常識」が真正面からぶつかった瞬間でもありました。

【混乱の始まり:異動?え?“なぜ?”の連発】

会議の冒頭、日本人上司が説明を始めます。
「違う部署を経験することで、視野が広がり、成長につながる。今後のためにも経験しておいてほしい」──

ただ、話を聞いた現地社員たちの第一声はこうでした。

「異動ってどういうことですか?」
「私は今までの経験からこのポジションで雇用契約を結びました。物流課での仕事のために入社したわけではありません。」
「今の仕事ぶりが評価されていないということですか?」
「自分の言動について部下から何かの報告が入ったのですか?」
「邪魔ものだということなのですか?」

「給与や評価、責任はどうなるのか?」
そんな不安や戸惑いが、止まらない勢いで噴き出していきました。正直、カオスでした。

【通訳という立場の孤独】

私はこの会議で通訳を担当しました。
でもただ訳すだけでは済まないのが、この手の会議の辛いところです。

日本人上司は「そんなに深い意味はないんだけどね」と軽く説明する一方で、
現地社員にとってはそれが“キャリアを左右する問題”として重く受け取られます。

しかも、上司の発言があいまいなまま話が進んでいくと、後でメキシコ人社員からこう言われます。

「彼はそんなこと言ってなかったはずだ」
「通訳のあなたが勝手に解釈したんじゃないか?」

責任を取らない発言、記録に残らない会話、そして文化ギャップ。
それらの間に立たされる通訳は、時に矛先を一身に受けてしまうことがあります。

【会議の結末:持ち越された“結論”】

最終的に、あまりの反発にびっくりしたのか(?)相互研修──もとい“異動準備としての研修”は来年2月以降に実施、
その前に再度関係者が集まり、具体的な内容を詰めるということでこの日の会議は終わりました。

ただ、納得したわけではありません。
現地社員たちは疑問を持ち続けたまま帰っていきましたし、
通訳である私は「また次もこの説明をしなければならないのか」という思いだけが残りました。
あと3か月もあれば、何人かは辞めるでしょうし、状況は大きく変わっていることが予想されます。
そうするとまた一からの説明になりますね。あぁー

【さいごに】

メキシコでは、職務と責任の範囲がはっきりしている「ジョブ型雇用」が基本です。
一方、日本では「育成」の一環として部署異動や相互研修がよく行われます。

どちらが正しい、間違っているという話ではありません。
けれど、その価値観のズレが、今回のように“試験的な異動”という形で伝えられるとき、
現地社員にとっては「軽く扱われた」と感じるのも無理はありません。

そして、通訳という立場にいる人間は、その“感情の板挟み”の中にいます。
言葉を訳すだけではなく、空気と責任の温度差も、全身で受け止めながら立っています。

そんな仕事に少し疲れたとき、私はこう思うようにしています。

「伝えることに100%の正解はなくても、誠実でいることはできる」

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