小さな命との距離感。野良猫・野良犬に対する私の迷いと気づき

メキシコ生活

野良犬・野良猫が日常の風景に

メキシコに住み始めてから、毎日の風景の中に野良犬や野良猫の姿を見かけるのが当たり前になりました。
もともと海外旅行中に、現地で野良犬を見かけたことは何度かありました。

だから「そういう国もあるよね」と、どこか他人事のように思っていた部分もあります。
でも実際に暮らすようになると、犬や猫たちが本当に身近な存在になり、その数の多さに驚かされました。

目をそらしたくなるような光景

特に印象に残っているのが、道端で見たある光景です。
ボサボサの毛に覆われたオスの野良犬が、明らかに嫌がって逃げようとするメス犬に、何度ものしかかろうとしていました。

自然な動物の行動の一つだと言われれば、それまでかもしれません。
でも、私はどうしても「自然」だとは思えませんでした。

人間の責任と放置された命

この犬たちは、きっとどこかで人間に飼われていたのでしょう。
でも、事情があって捨てられ、去勢もされず、病気の予防もされずに放置されてしまった。

そして、過酷な環境の中で本能のままに生きていくしかない。
その現実に触れた瞬間、嫌悪感と切なさ、そして怒りのような感情が入り混じりました。

家の前に現れる小さな来訪者

そんな中、最近、私の家の玄関先によく来るようになった猫がいます。
小柄で可愛らしい猫で、日陰になる玄関前がちょうど心地いいのか、座っていたり、寝ていたりします。

ある日、買い物から帰ると鉢合わせて、慌てて逃げていく姿も見かけました。
その後、何度かおしっこをされていた形跡もあり、「ああ、何度も来てるんだな」と気づきました。

餌をあげるべきか、あげないべきか

そんな様子を見るたびに、「お腹を空かせているのかな、少しぐらい餌をあげてもいいのかな」と思うようになりました。
でも、その一方で、やっぱり迷いがあります。

本当に野良猫なのか、それともどこかの家で飼われている猫なのか、正直わかりません。
もし本当に野良猫なら、餌をあげることは命を繋ぐことになるのかもしれません。

一時的な優しさのリスク

でも、日本で教えられてきた「野良猫に餌をあげるのは無責任」という考えも、ずっと私の中にあります。
一時的な優しさが、かえって猫にとって「期待外れ」になってしまうのではないかという不安もあります。

責任を持って飼う覚悟があるわけではないし、もし飼うなら病院に連れて行くことから始めるべきだとも思っています。

優しさと責任の間で

それでも、目の前にいる小さな命を見て、何もしないでいることにも、罪悪感のようなものを感じてしまいます。
だからこそ、いつも迷ってしまいます。

正解のない問いと向き合う

正解はないのかもしれません。
でも、こうして迷ったり立ち止まったりすること自体が、今の私には必要な時間なのだと思います。

「優しさ」と「責任」の間で、自分はどうありたいのか。
メキシコでの暮らしの中で、そんなことを考えるようになった今日この頃です。

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